一
ミクミクの奴が自殺したと聞いた時、俺はアチャーッ、と思った。
まずったな。死ぬとは思わなかったな。鬼倉(きくら)なんてごつい名字なのに意外に弱かったな。未来(みらい)なんて名前だけど男じゃないか。男のくせにあの程度のことで。ちょっとからかったくらいじゃないか。あんなものいじめには入らない。なでたくらいのもんだ。あの程度なら誰だってやってる。よくあることじゃないか。
なのに死にやがるなんて。参ったな。俺のせいになっちまうんじゃないか。仲間の中じゃ俺が割と仕切ってたもんな。
遺書は書いてやがんのかな。そん中に俺の名前なんて入ってねえだろうな。自殺する時にいじめた奴の名前残してる奴は多いもんな。死ぬなら誰にも迷惑かけずにひっそり死ねってんだよ。わざわざ嫌がらせを残していきやがる。クソ野郎め。
いや、俺じゃなくてタカシの名前の方を書いてるかもしれないな。あいつも先頭を張ってミクミクをいじめてたもんな。どっちかというとあいつの方が俺よりひどいいじめをしてたよな。そうだ、俺よりひどかった。いやそもそも遺書なんて書いてないかもしれないな。ミクミクは気が弱かったからな。俺達の名前を出す度胸もないかも。
公園で首を吊っていたらしい。夜中に通行人が見つけて、病院に運ばれたけど助からなかったと。それで、今日の朝刊に載ったんだ。朝飯食ってたらママが「鬼倉未来君って翔君のクラスの子よね」と言ってきたんだ。それで、日頃新聞なんて読まない俺もミクミクの自殺を知った訳だ。高校の名前も同じだし間違いなかった。
「いじめかしら。翔君はいじめの心当たりなんて、ないわよね」
顔色をうかがうようにママは俺に聞いた。ちょっと俺はムカついた。何だよその態度は。俺を疑ってやがんのかよ。
「知らないよ。今日は気分悪いから学校休む」
俺は答えた。どうせ学校では騒ぎになってるだろうし、全校集会とかで校長のうっとうしい話があるかもしれない。今日行って得することなんて何もないもんな。
「そ、そうね。同じクラスの子が死んじゃってショックなのは分かるわ。こんな時にムリして登校する必要ないわよね。学校にはママが電話しとくからね」
ママは遠慮がちにうなずいた。
朝飯を食い終わって自分の部屋に戻ったところで携帯にタカシからのメールが来た。
『知ってるか。ミクミクが自殺したって。ちょっとヤバいかな』という内容だった。
俺は『新聞読んだ。俺は今日学校休む。様子見だ。余計なことしゃべるなよ』と送る。
五分くらいして返事が来た。
『分かってる。でも他の奴らはしゃべるかもな。俺も今日休む。メールはもうやめとこう』という内容だった。
確かにメールはまずいかも。記録が残るからな。警察が調べたりするかもしれないもんな。ならそもそもメール送ってくんなよタカシの馬鹿が。
学校から呼び出し食らわないかな。でも風邪とか体調不良とかってママが説明したんならムリヤリ呼び出しとかはないよな。でもいずれは学校行かないといけないもんな。担任の小山にいじめのこと聞かれるんだろうな。ハッ。自分も見てみぬふりしてやがってよ。担任のくせに見殺しにしたんだからあんたも同罪じゃないか。クラスの奴らもそうだ。
でも奴らチクるかもな。何もかも俺のせいにしてペラペラしゃべりやがるかも。畜生。釘を刺しておきたいが、今メールしても記録が残っちまうしな。これまでのやり取りしたのも残ってるだろうな。携帯に保存したメールを消したって、どうせ警察は携帯会社に問い合わせるんだろうな。
刑事が聞きに来るのかな。それか警察官か。いやでもそこまではないかもな。いや、来るのかな。「鬼倉君をいじめてましたか」とか刑事に尋問されるのか。ああ、嫌だな。畜生。
もしかしてタカシの奴が真っ先にしゃべるんじゃないだろうな。「大村翔太郎君がいじめのリーダーでした」って、きっと泣きながら言うんだ。いかにも反省してます、僕も被害者ですって顔をしてな。畜生。先に言ったもん勝ちかよ。
考えているとジリジリしてくる。足の感覚が鈍くなったみたいで気持ち悪いし、イラついて何かを殴りたくなる。どうして俺がこんな思いをしなくちゃならないんだ。全く、とんだ災難だ。
まあ、でも、大したことにはならないよな。よくある話だもんな。俺のことがばれたって、まあ停学二週間とか一ヶ月とかそのくらいだろうな。未成年だし名前も出ないもんな。こんなことで人生台なしにさせられるなんてないよな。
本当に、ちょっとしたことじゃねえか。誰でもやってるじゃんか。皆で机と椅子を隣の教室に隠したり、ちょっと人間サンドバッグごっこしただけじゃんか。パンツ脱がしてケツに画鋲刺したり根性焼きしただけじゃんか。素っ裸にして携帯で撮って、ネットに流しただけじゃんか。
私服に着替え、ゲーム機で格闘ゲームを始めたが集中できなかった。やはり今後のことが気になってしまう。ミクミクの奴が勝手に自殺なんかしやがるからだ。考えてるとますます腹が立ってくる。
あんくらいのことで死ぬなよ馬鹿が。なんでそんな弱え奴のために俺が被害受けなきゃならねえんだよ。やっぱ、遺書書いてやがるんだろうな。俺達の名前をネチネチと書き残してやがるんだろうな。蛆虫が。
グルグル同じことばかり考えてしまう。今のところ電話のベルは聞こえない。学校からの呼び出しはないみたいだ。
今頃全校集会やってんのかな。校長がいかにも悲しそうな顔をして、「鬼倉君は真面目で明るい生徒でした」なんて言ってんのかな。ハッ。あんな根暗で弱々しい奴。だいたい自殺するくらいなら退学しろってんだよ。弱い奴が俺の周りでのさばんなってんだよ。クソッタレ。
チャイムが鳴って俺はビクリとした。チャイムくらいで驚くなんて情けないけど、刑事が来たんじゃないかと思ったのだ。新聞記者……なんてことはないよな。遺書の中身なんてマスコミにもれたりしないよな。俺はここを動かない。ママが出てくれるだろう。
もう一度チャイムが鳴った。イラつかせられる。早く出ろよ、クソババア。
ママがインターホンとしゃべる声が聞こえた。気になるが、ドアの向こうなのでママが何と言っているのかは分からない。ちょっと困っているような感じだった。俺はゲームの音声を切り、身動きもしないでやり過ごすことにした。
インターホンでのやり取りは二分くらいだったと思う。少しして廊下を歩く足音が近づき、ドアがノックされた。
「翔君」
「何」
わざとそっけなく返す。誰だったの、と聞きたかったがストレート過ぎるので我慢した。
「今ね、鬼倉君のお父さんって方が来てね、翔君と話がしたいって言ってたの。ママは、翔君は体調が悪いからって断ったんだけど、どうしても話がしたいってしつこかったわよ」
まさか。俺は信じられなかった。ミクミクの親父が直接来るなんて。やっぱりあいつの遺書に俺の名前が入ってたのか。もしかして俺に仕返しするつもりなのか。息子の仇とかなんとか言って。でもいきなり来るかよ。だいたい葬式もすんでないじゃないか。解剖とかもしないといけないかもしれないのに。事情聴取とか、マスコミの取材とかあるだろ、普通。
なのに、なんでいきなり俺の家に来るんだよ。ゾワゾワ、と、不気味な感触が背中からふくらはぎまで下りていった。
「そ、それで、帰ったの」
俺の声は自然に震えてしまっていた。
「帰ったわよ。残念そうだったけど」
良かった。何だよ、気持ち悪いな。
「どんな感じだった。泣いてたとか」
「そういえば、別に……普通、だったわね。落ち着いた感じの声で。息子さん亡くなったっていうのにね。別人の悪戯だったかもしれないわね」
そうか。新聞記者とかかもしれないよな。
でも、新聞記者がわざわざミクミクの親父を名乗ったりするかな。
「それで、翔君……。鬼倉君の自殺のことで、翔君、何か、知ってるのかな」
ドア越しだったが俺はママの顔が想像できた。こちらをうかがうような上目づかいで、ごまかしの愛想笑いを浮かべているのだ。
畜生。クソババア。俺がいじめてたっていうのかよ。
「知らないよ」
俺は答えた。
「そう。そうよね。そうならいいんだけど」
ママの足音は去っていった。
また落ち着かない感じがぶり返してきた。ミクミクの親父かよ。本当だったら、何しに来たんだろうな。仕返しするつもりだったらもっと激しい怒鳴り合いとかになってるよな。ミクミクは遺書を残してなくて、手当たり次第に聞きに回ってるのかな。俺はミクミクの親父のことなんてほとんど知らない。たぶんサラリーマンやってるんだとは思うけど。
ミクミクの奴から父親の話を聞いたのは一度くらいかな。なんか恐い人だとかどうとか。別に親父に殴られてるとかそんな話じゃなかったと思うけど。
その時は「俺より恐いのか」って、三十発くらい殴って関節を極めてやったな。あいつが親父の話をしたのはそれきりかな。
ああ、面倒臭え。なんでこんな細かいことまで考えなくちゃいけねえんだよ。なんで俺がこんなことで振り回されなきゃならねえんだよ。
ゲームを再開しようとリモコンの音声ボタンを押しかけた時、またチャイムが鳴った。
何だよ。またミクミクの親父かよ。それとも今度は新聞記者か、刑事なのか。神経がピリピリしてくる。
足音。またママがインターホンと話しているようだ。
足音が廊下を進み、俺の部屋の前を過ぎていった。玄関に向かってるみたいだ。玄関開けて応対するのか。親父は追い返したんならもう開けたりしないよな。もしかしてただの宅急便とかか。
俺の部屋から家の玄関までは十メートルくらいあるから、玄関のドアの開く音は聞こえなかった。話し声。俺は耳を澄ませる。
ゴズン、と、重いものが床に落ちる音がした。
な、何だ、いきなり。荷物落としたのかよ。重かったのかな。
ズズー、と、重いものを引きずる音。ママが荷物を押しているのか。床に傷がつくんじゃないか。いや、俺は正直なところ、別のことを考えていた。
ママが客に殴り倒されて、引きずられているんじゃないかって。映画とかじゃよくある話だ。
いや、でも、現実にはまずないよな。考え過ぎだよな。もし襲われたんだったら悲鳴とか聞こえてるよな。足音も、俺の部屋まで近づいてくるはずだよな。
でもママの足音も戻ってこないのはなんでだ。話し声も聞こえない。
「ママーッ」と呼んでみるのも恥ずかしい。ちょっと部屋から顔を出して様子を見てみるか。そうも思ったが俺は身動き取れなかった。確かめるのが怖い気がしていた。
どうしてこんなことになったんだ。昨日まではなんともなかったのに。なんで俺がこんな目にあわないといけないんだよ。
コンコン、と、割と近くで硬い音がした。びっくりして窓を見ると、人影が窓ガラスを叩いているんだった。窓は薄い白のカーテンをかけているので相手の顔までは分からない。男……かな。窓のロックは掛けていたっけ。俺は急に心配になった。でも、身動きが取れない。心臓がドキドキして息苦しくなってくる。ママはどうしたんだろう。ママは……。
「翔太郎君」
窓の人影が声を出した。その声に俺は、体中の皮膚が、ゾワワッ、と来たのだ。大人の男の、穏やかな声で、猫なで声といってもいいくらいだった。それが凄く不気味だった。
人影が動き、また、コンコン、と、窓が叩かれた。落ち着いた、余裕のある叩き方だった。
「大村翔太郎君、いるよね」
ヤバい。これはヤバい。見えない力に押されたみたいに俺は立ち上がっていた。逃げないと。俺はドアを開けて廊下へ飛び出した。
右を見るとママが倒れていた。
玄関の上がり口に、ママがうつぶせになっている。ピクリとも動かない。赤い。床に物凄い血が広がっていた。やっぱり殴られたんだ。いや、刺されたのか。切られたのか。
ここからはママの髪が見えなかった。長い髪だったのに。おかしい。いや、まさか。俺は怖くて近寄ることもできず、その場で目を凝らした。
ママの首がなかった。信じられない。でも本当に見えない。首が下に曲がってるだけかも。いや、胴体はピッタリ床についてるからそんな隙間はない。血がたくさん出ている。閉まったドアに血がついている。
これって夢じゃないよな。それかママと何人かでグルになって俺をからかってるとか。今日は俺の誕生日だったか。いや、違う。
また、コンコン、と、窓が叩かれた。
「翔太郎君。君に見せたいものがあるんだ」
俺は、振り向いた。薄いカーテン越しに人影が動いて、片手が何か丸いものを差し上げた。
「君のママはこっちだよ」
ガラスにベットリと押しつけられたのは、誰かの顔だった。きっとそれが、ママの生首だ。押しつけられ過ぎて顔が歪んで……。
ビシイッ、とガラスにヒビが入った。窓が割れ、血みどろのママの生首がカーテンを押して部屋に入ってくる。
「うあああああああ」
俺は悲鳴を上げていた。助けて。逃げないと。誰か助けて。警察を。玄関から逃げないと。でも玄関にはママの死体がある。でも逃げないと。
俺は裸足のままで走り、ママの死体をまたいで玄関のドアノブをつかんだ。やっぱり死体には首がなかった。
「翔太郎君」
男の声が聞こえる。部屋に入ってきたのだ。俺は急いでノブを回し、ドアを押した。
ドアが開かない。何かにつっかえているみたいでびくともしないのだ。逃げられない。
他の窓から出ないと。台所側の勝手口から……と、振り向いたところで俺の前に男が立っていた。
「翔太郎君。静かに……」
「うああああああああ」
俺は叫んだ。叫んで男を突き飛ばそうとした。男が物凄い勢いで俺の顔を殴りつけた。左頬だ。顔面がボゴッとへこんだかと思った。こんな痛いのは初めてだ。信じられない。本気で殴られるなんて初めてだ。
なんで、俺がこんな目にあわなきゃいけないんだ。
ぶっ倒れた俺を見下ろして、男が言った。
「翔太郎君、静かに、話を、しよう」
男は冷たい薄笑いを浮かべていた。四十才くらいで、普通のサラリーマンのスーツを着ていた。左手に持っているのはママの生首だ。骨とかの見える断面と長い髪の先から、血がポタポタと俺の顔の横に落ちる。
男は黒い革靴を履いていた。大変だ。俺ん家に土足で入ってる。俺はぼんやりとそんなことを思った。
二
「自己紹介がまだだったね。私は鬼倉正道だ。未来の父親だよ」
俺の両足をつかんで引きずりながら男が言った。抵抗したいが頭がガンガンして力が入らない。俺をどうする気だ。
やっぱりミクミクの親父か。見たことはなかったけどたぶん本物なんだろう。ミクミクが自殺して俺のとこに来たってことは、やっぱり俺を殺す気なのか。復讐に。信じられない。だって、それって犯罪じゃないか。でも現実に、ママは殺された。首を切られて。
「君のお母さんに最初は追い返されたんだけどね、君に渡したいものがあると言ったらすんなり開けてくれたよ。私はこういう交渉事は得意な方でね、大切なのは冷静さだよ。もう君に渡したよね、お母さんの首」
さっきママの生首は俺の顔に押しつけられ、口の中に血が少し入った。鉄っぽい味がして、俺は何度も唾を吐いた。生首はそのまま転がって、廊下に置き去りにされている。
「どうして私がわざわざ窓からお邪魔したかというとね。正直なところそんなに深い意味はないんだ。ただ、ちょっと君を驚かせてみたかっただけなんだ」
「なん……なんで……」
俺はなんとかそれだけ言えた。なんでこんなことをするんだ。俺をどうする気だ。
「んー。この辺でいいかな。コンセントが近いからね」
鬼倉の親父は俺をリビングまで引きずって、外から見えないようにサッシ戸のカーテンを閉めた。俺はなんとか立ち上がろうとしたが、親父は振り返りざまに俺の腹を蹴った。腹が破裂したかと思った。サッカーボールでも蹴るみたいな遠慮ない蹴り方だった。ひでえ。
俺が転がってうめいていると、親父は俺の左手をつかんで物凄い力でねじ曲げた。イデデデデ。左肩がゴギュッと鳴って、腕に力が入らなくなった。関節が外れたっぽい。よく漫画とかであるけど、自分がやられるとは思わなかった。親父はあっという間に俺の右肩も外してしまった。抵抗できなくする気だ。
更に親父は俺の背にケツを乗せ、左膝をつかんできた。太股を後ろに曲げられるいや曲がらねえってイダアアアッ。
ゴグンッとまた凄い音がした。股の関節って外れるのか。かなりムチャな外し方だったので肩の十倍も痛かった。
「やめ……助け……」
親父はさっさと俺の右足の関節も外してしまった。もう逃げることはできない。肩と股がズキズキうずく。でも俺は痛みより、これから大変なことになるという怖さばかりが強かった。この親父はきっと、とことんやるつもりだ。
俺は目一杯息を吸い、大声で叫ぶことにした。近所の人や通行人に聞こえたら様子を見に来たり通報したりしてくれるかもしれない。
「助けてえええ誰かギョフッ」
喉に強烈なチョップを食らって俺は息ができなくなった。喉が潰れたらどうするんだよ。息が……。
「さて、話を始めようか」
親父は俺を押し転がしてあおむけにした。
今の悲鳴は誰か聞いてくれたろうか。隣に住んでる田渕のじいさんには届いたろうか。でもあのじいさん最近ボケてきたし。俺の親父は会社だしこんな時間に帰ってはこない。新聞記者とか刑事とかは来てくれないのかよ。こんな時に。
ミクミクの親父はずっと薄笑いを浮かべていた。俺の親父よりちょっと若いくらいか。髪はパリッとした七三分けで、頭良さそうな、安いドラマに出てくるいかにもなエリートサラリーマンって顔だった。細い鼻なんかはミクミクに似てたけど、全体的にがっしりしていて根性がありそうだった。デパートの店員なんかがやりそうな固まった愛想笑いは、俺を馬鹿にしているようにも見える。ミクミクのその笑いはムカついて殴りたくなったけど、この親父の笑いは恐いものだった。
俺を見下ろす親父の目は、全く笑っていなかった。瞬きをせず、ビックリしてるみたいに見開いたままだ。瞳孔が完全に開ききっている。知ってるぞ。これは、頭のおかしい奴の目だ。
黒く塗り潰されたみたいな瞳の奥で、不気味なものが飛び出すチャンスを待っているような気がした。
「私の息子が自殺したのは知っているよね」
親父が言った。
「私は常々、自殺なんかする奴は馬鹿だと言ってきた。自殺するくらいなら、捨て身で敵をぶち殺すべきだとね。何年か前に中国で、いじめられっ子が体に爆弾を巻いていじめっ子達を道連れに自爆した話があったが、私は感心したな」
ということはやっぱり俺を殺すつもりか。俺がいじめてたって知ってんのか。やっぱりミクミクの奴が遺書に書いてたのか。畜生。チクりやがって。
俺はまだ息が苦しくて声も出せなかった。
「だから未来が首を吊ったことは、私はとても驚いたと同時にがっかりしたんだ。私の教育はあの子にはきちんと届いていなかったのだ、とね。しかも、女々しい遺書を机の上に残したりして、自分で復讐する力のない臆病者のような、他力本願なことを」
ああ、やっぱり遺書を書いてやがったんだ。俺の名前を書いてやがった。だからこの親父が来たんだ。
でも、息子のことを女々しいとか言ってるから俺のことはそんなに怒ってないのかも。そもそも俺はそんなにひどいことはしてないんだから。
親父は言った。
「まあしかし、未来はもう死んでしまったのだから、今更怒っても仕方がない。復讐は代わりに私がやってくれということなんだろう。未来は気の弱い子だった。これが未来にできる精一杯だったんだろう。なら私は父親としての務めを果たすべきだろう」
ああやっぱりやる気だ。親父の目がギラギラと光っている。なんでこんなことになっちまったんだ。
親父が聞いた。
「それで念のため、確認しておきたいのだが。大村翔太郎君。君は未来を、いじめていたのかね」
もしかすると、ここでうまく答えたら助かるかも。親父は身を屈め、瞬きせずに俺の顔を見つめている。俺はなんとか息を整えて答えた。
「そんなつもりじゃなかっ」
ゴヅン、といきなり殴られて首が横に向いた。最初の時と違って右頬で、刺さるような物凄い痛みだった。骨が折れたかもしれない。涙がどんどん出てくる。
親父はいつの間にか、右手にメリケンサックを填めていた。信じられないが、四十代のいかにもサラリーマンって親父が、本当にメリケンサックを填めてるんだ。
口の中に硬いものがある。歯が折れたみたいだ。
「私はいじめていたのかと聞いているんだよ。きちんと答えなさい」
親父は声だけは優しかった。
ちゃんと答えないと殺される。でもちゃんと答えても殺されるかも。心臓のドキドキが体中に広がっていって、痛みも何も包み込んでしまったみたいだった。
「いじめてたっていうか、一緒に遊んで……」
またパンチが来た。今度は真正面からで、口にまともに食らった。ゴウゥン、というショックが口と後頭部に来た。床にぶつかったんだ。
口の中に熱い血があふれてきて、俺は吐き出した。血と歯の欠片が幾つも出てきた。俺の歯が。前歯もムチャクチャだ。これからずっと入れ歯で生きていかないといけないのか。俺はまだ十七なのに。なんでこんなことに……。
「遺書に書いてあったが、君はことあるごとに未来を殴っていたそうだね。だからこれはそのお返しでもある」
親父はメリケンサックを外し、手の血をハンカチで拭いた。ああ、外してくれた。もう殴るのは終わりみたいだ。
俺の心を読んだみたいに、親父はニコリと笑った。
「翔太郎君、君はハンムラビ法典というのは聞いたことあるよね。『目には目を、歯には歯を』というあれだよ。私はね、罪と罰とはかくあるべしと思うんだ。罪を犯した者は、相応の罰を受けなければならない。ただ、抑止力として見るならば、しっぺ返しは重い方がいいんだ。倍返し、四倍返し、あるいは十倍返しでもいい」
俺は「助けて」と言おうとしたが声にならなかった。必死に首を振ってみる。涙が流れ続ける。手足は動かせないまま俺はイモムシみたいに転がっている。
「私はねえ、何でもきちんとしないと、気がすまない方なんだよ」
親父は言った。
ああ、やっぱり殺される。俺は殺されるんだ。親父の手が近づいて俺の喉にさわった。一瞬絞め殺されるかと思ったが、鋭い痛みが喉仏の下に潜り込んできた。息、が。悲鳴を上げようとしたら空気のもれる音がした。声が、出ない。
「念のため気管を切開しておいたよ。これ以上余計な大声を出されて人が来るのも困るからね。邪魔されずにきちんとやりたいんだ、私は」
親父は血のついたカッターナイフを持っていた。それで俺の喉を切ったのだ。息がそこからもれてるんだ。声が……。
親父がリビングから出ていった。まさかこのまま立ち去るなんてないだろうけれど、俺はちょっとそんなことを期待してしまった。
俺はベロで口の中を確認した。上の前歯が四本、下も三本折れてギザギザにふれる。右の奥歯も二本折れてる。他にもベロで押しただけでグラグラするのが何本もある。鉄の味が口の中にいつまでも染み出してくる。
もうこれ以上ひどい目にあいたくない。このままだときっと殺される。手足も関節を外されてるし、悲鳴を上げたくてももう声も出せない。
やはり親父は戻ってきた。段ボール箱を抱えている。
箱から、血みどろの金属部品がはみ出していた。何だよそれは。それで俺をどうする気だ。
「どこから始めようかね」
置いた段ボール箱と俺を交互に見て、親父は呟いた。
「物事には順序というものがある。小さなものから始め、重要なものは最後にすべきだ。きちんとするなら、いきなり心臓をえぐるのは間違っている。そう思うだろう」
やっぱりこの親父は俺を殺すつもりなんだ。その前に拷問する気だ。さっきの間に逃げるべきだった。イモムシみたいに胴体をくねらせたら這って進めたかもしれないのに。それがムリだったと分かっているのにどうしても考えてしまう。
「せっかく持ってきたんだ。一通り使ってみようか。まずはこれだ」
親父が箱から取り出したのはアイスピックだった。どこを刺すかは分からないが、俺を刺すことは間違いなかった。
「翔太郎君。君達は未来の手のひらや尻に画鋲を刺して遊んだそうじゃないか。裸足でわざと踏ませたりもしたそうだね」
「やってない」と言いたかったがやっぱり声は出なかったので、俺は泣きながらただ首を振った。もし声が出ていたらまた殴られたかもしれない。本当はやってたのだから。
アイスピックの先端が俺の顔に近づいてきた。目を狙ってるのか。俺の目を串刺しにする気なのか。
「心配はいらない。目は大切なものだ。こんなに早くえぐったりはしないよ。これからやることをきちんと見てもらいたいしね」
アイスピックが離れ、俺はホッとした。単に先延ばしになっただけだと分かっていても。こいつは必ずやるだろう。
親父は屈んで俺の左手を持った。抵抗したいが腕に力が入らない。いきなりチクッ、と来た。手の甲だ。いや手のひらだ。いや、アイスピックが手の甲から手のひらまで突き抜けたんだ。顔も歯もずっとうずいていたので、刺された痛みは意外に耐えられそうな感じだった。でも平気な顔をしていると更にひどいことをされそうなので、俺はうめいておいた。
だが次は人差し指を捕まれたと思ったら強烈なのが来た。指先が真っ二つに割られたみたいな凄い痛みが脳天まで突き抜けてきた。一瞬息が止まり、少しして俺は悲鳴を上げた。「ビュアアア」という血の混じった呼吸音にしかならなかった。
えぐられてる。爪と肉の間にアイスピックを刺されたんだ。拷問でこういうのが一番痛いと聞いたことがあるが、見た目のイメージとは全然違っていた。こんな痛みがこの世にあるのか。頭が爆発しそうだ。
「未来というのは私が名づけたんだ」
親父は淡々としゃべりながら俺の中指をつかんだ。嫌だ。必死に握り拳を作って抵抗したが、親父の力は物凄かった。また爪と肉の間を刺される。うああああ、あ、あ、あ。い、た、いんだよこの野郎。
「すばらしい未来に向かって歩んで欲しいという希望を込めてね。妻には『みらい』なんて女っぽい名前だと言われたが、最後は納得してくれたよ」
今度は薬指。いでえええええええ。畜生。畜生畜生畜生。
「それがこんなことになるとはねえ。未来という名前が君達にいじめられる原因になったのかな。君達のようなクズにとっては、きっかけなんて何でもいいのだろうがね」
小指。あああああ畜生畜生畜生畜生やめろこのクソ野郎呪い殺してやる絶対殺すぶち殺す殺す殺す。
人差し指から小指まで行ったからこれが終わりかと思ったのに、結局親父は俺の親指を取った。ああああああいてえええええええ。あまりの痛さに全身がブルブルと震えてくる。プビュー、ブビュー、と喉の穴から空気がもれる。
「では次に行こうか」
親父は相変わらず落ち着いた調子で段ボール箱をあさる。
取り出したのは四角い台の片端に、長い刃が取りつけられた道具だった。職員室で見たことがある。プリントの束なんかをまとめてバッサリ切る奴だ。少し曲がった刃は台と合わさってハサミみたいに紙を切る。
その台と刃は、ベットリと血がついていた。
「裁断機だ。ペーパーカッターとも言うね。十一年前に購入したドイツ製だ。紙以外にも色々切ってきたがガタつき一つ来ていない。私はこういうきちんとした道具が好きだな」
それでママの首を切ったのだ。紙を切る道具で人の首が切り落とせるのか。この親父なら意地でもやってのけるだろう。それで俺のどこを切るのか。
あああごめんなさい許して下さいもういじめたりしませんそんなつもりじゃなかったんです皆と気軽に遊んでただけなんですだって皆もやってるじゃないですかなんで俺ばっかこんな目にあうんですか不公平じゃないですかだからもうこれ以上は許して下さい何でもしますから切らないで下さい歯も折れたのにどうかこれ以上はなんで俺だけがこんな目にあわないといけないんだよ畜生あああ許して下さい。
親父は俺の右手をつかんで台に乗せた。
「手首がいいかね。そうすると、手術でつながる見込みはかなり薄いな。しかし指なら、良い医者に診せればつながるかもしれないよ」
もちろん君が生きていればだがね。そんなことを親父は言いそうな気がした。指も手首も嫌だ。切らないでくれ。
やっぱり親父は容赦なく、俺の指を力ずくで伸ばさせた。指の付け根が台の端に当たり、指を曲げたくても手の甲を押さえつけられてて動かせない。
もう一方の手で刃のレバーを握り、親父が俺の顔を見てニッコリ笑った。
そして力一杯レバーを下ろした。俺は自分の指を見なかった。ドギャリ、という硬い音がして衝撃だけが来た。拳で鉄板をぶん殴ったみたいな感触で、もしかしたら骨で止まったのかもしれないと思って見てみたら、やっぱり刃は完全に埋まっていた。
俺の指が。痛みがじりじりと大きくなってくる。付け根から先が熱湯に浸かったみたいに熱い。でももう切り落とされてるんだ。指四本だけと思ったら、親指の先も刃に隠れている。ああ、嫌だ、まさか親指も。俺は恐る恐る動かしてみた。親指の、先の関節部分でスッパリと切れていた。
俺の指が。右手の指がなくなった。利き手なのに。もう字も書けない。何も握れない。ちゃんと手術でつながるのか。
「大丈夫だ。ちゃんとつながるとも。きちんと保存しておけばね。鼻も耳もちゃんとつながるさ」
うああ、やめろ。やるのか。俺の鼻と耳も。やめてくれ。俺の顔が……。
親父が俺の鼻をつまんだ。チキ、チキ、チキ、とカッターナイフの刃を出す音がした。やめろ。俺は首を振って逃れようとするがやっぱり無駄だった。刃が鼻の下に、当たる。
ゾビ、ジュビ、ジビ、と、鋸を使うみたいに、刃が行ったり来たりしながら、俺の鼻を切っていった。熱さと同時に、わさびを食べたみたいなツーンとする感じ。もう体中が痛いので、これがどのくらい痛いのか分からなくなっている。
親父はなにやら鼻歌を歌いながら、俺の鼻を切り取って俺に見せた。血のにじむ、肉と軟骨の塊だった。自分のものとは思いたくなかったが俺の鼻に間違いない。俺の顔が。親父はさっさと俺の両耳を切り落としてしまった。鼻よりも簡単に切れた。
俺の顔はどうなってしまったんだろう。鏡を見るのが怖い。と思っていたら親父が段ボール箱から手鏡を出して、わざわざ俺に見せた。
「うむ。いい顔になったなあ、翔太郎君」
鏡に写った俺の顔は、ボコボコに腫れ上がって紫色になった、鼻のあったところに豚みたいな二つの縦穴の残った、死にかけの豚みたいになっていた。耳もない。目は充血して真っ赤で、目尻から血が出ていた。血の涙って本当にあるんだ。死にかけの豚みたいに怯えきった、情けない、目をしていた。
これは俺の顔じゃない。これは夢だ。いずれ覚める。きっと元通りだ。何も起こっちゃいない。ただの夢なんだ。ああ、でも、誰か早く助けに来てくれ。このままだと俺は……。
「そうだ、そうだ、ついでにこれも見てもらおうか」
親父はまた段ボール箱から新しい道具を取り出した。
それはミキサーだった。
おい、それをどうするつもりだよ。嘘だろ。だってちゃんとつながるって言ったじゃんか。まさか、だろ。そこまでするかよ。だって手術すればちゃんとつながるって……。
親父はミキサーの電源コードを部屋のコンセントにさし込んだ。上蓋を開け、俺に見せつけるようにしながら、俺の五本の指と鼻と、両耳を容器の中へ落とした。
「いやあ、残念だったね」
親父はミキサーのスイッチを入れた。
ああああああこの野郎この野郎。俺の……。
ジュビュビュビュー、と音を立てて俺の指と鼻と耳が容器の中で回転し、どんどん細切れになっていく。俺の指が。鼻が。耳が。もう絶対、元に戻らない。俺は一生このままなんだ。死ぬまで右手が使えない障害者として生きていかないといけないんだ。シリコンか何かの偽物か、誰かの死体から移植した他人の鼻と耳を使うことになるんだ。それかずっとマスクだ。俺の元の顔はなくなったんだ。もう女とつき合ったり結婚したりとかできないんだ。畜生、俺はまだ十七なのに。なんでこんな目に……。
涙がまたどんどんあふれてきた。もうどうにでもしてくれ。俺の人生はもう終わりだ。とっとと殺して、楽にしてくれよ。俺は投げやりな気分になっていた。
「では、次に行こうか」
親父はミキサーを止めてまた段ボールに手を突っ込んだ。もう駄目だと分かっていたがついミキサーの方を見てしまう。回転の止まった中身は、やっぱり赤いドロドロになっていた。
「君達は未来に根性焼きをしたそうだね。パンツを脱がせて尻にやっただけでなく、息子のペニスにまで煙草の火を押しつけたそうじゃないか」
ミクミクの奴、そのことも書いてやがったのか。嫌な予感がしてきた。もう死んでもいいと思っていたのに。
「未来の体は司法解剖中で、私が自分で火傷の痕を確かめることはできなかった。どちらにせよきちんとお返しはしておくべきだろうね。君の家にもあるだろうが、探す手間も省けるし、きちんとしたものを使いたいからね。最近は日本のメーカーでも中国製というのが多いが、これはれっきとした日本製だよ」
アイロンだった。親父はコンセントからミキサーのプラグを抜いてアイロンのをさした。目盛をいじっている。
根性焼きのお返しな訳か。でもそれでどこを焼くつもりだ。まさか……。
親父は俺のベルトを外して、ズボンをずり下ろした。そしてパンツも。嫌だ。それだけはやめてくれ。それだけは……。
「ずいぶん嫌そうな顔をしているね」
親父が言った。アイロンの底をチョイチョイと指先でさわって熱さを確かめている。
「股間を焼かれるのが怖いかね。しかし君は、同じことを未来にやってのけたんだよ。私はね、それを十倍にして返しているだけなんだ」
そんなつもりじゃなかったんだ。ちょっとしたおふざけだったんだ。俺だけじゃないんだタカシだって他の奴らだって一緒になって楽しんでたんだ俺はどっちかというと気が進まなかった方でそうだタカシが一番悪いんです俺は悪くないそもそもいじめられるような奴が悪いんですいやとにかくそこだけはやめて下さいお願いですお願いでうああああああああづうううううううううっ。
親父がアイロンを、俺の股間に押しつけた。ジューッ、という音がして、肉の焦げる嫌な匂いがただよってきた。鼻がないのに匂いはした。熱い熱い熱い。早くやめて離して離して下さい熱い熱い熱いったらこの野郎がああお願いです熱い俺の大事な……。
俺は身をくねらせてアイロンから離れようとしたが、親父はそれを追ってぐいぐい押しつけ続けた。三十秒くらいたっぷり焼いた後で、親父はやっとアイロンを離した。ベリッ、と嫌な音がした。
アイロンの底に赤黒いものがへばりついていた。俺の皮の一部だった。まだ煙を上げている。
俺はもう、自分の股間を見る勇気がなかった。もう終わりだ。俺の人生は完全に、終わった。
だが親父がまた段ボール箱に手を入れた時、俺は最悪よりもっと恐ろしいものがあることを知ったのだ。
「翔太郎君。君は、未来の肛門に、モップの柄をムリヤリ突っ込んだそうじゃあないか」
悪魔が言った。
「その大便のついた先を、未来に舐めさせたんだってね」
やっぱりそのことも書いてやがったのか。違う。違うんだ。俺のせいじゃない。やめてくれ。これ以上されたらもう……。
親父が手にしたのは一本のホウキだった。柄の長さは五十センチくらいで、俺達がミクミクのケツに突っ込んだモップより短い。いやモップをそんなに深く突っ込んだ訳じゃないけれど。
そのホウキの柄に、何十本も釘が打ち込んであった。釘バットじゃなくて釘ホウキだ。そうだよな、釘バットじゃあケツに入らないもんな。いやホウキでも入らないやめてくれ。親父が自分で作ったんだろう、それぞれの釘は柄を貫通して二、三センチくらい先端が飛び出していた。そんなものを突っ込まれたら内臓がグチャグチャに……。
やめろ。許して下さいお願いです助けて下さいどうかそれだけはお願いです。俺は必死に口をパクつかせたがやっぱり声にはならなかった。
親父が俺の足を強引に開く。イダダダ。外れた股の関節がゴジッとこすれる。
「未来。こんなクズどもにいじめられて、自殺までさせられて、辛かったろう」
ずっと薄笑いだった親父の顔が、ビクビクと痙攣するみたいに歪んでいった。あああああ。ああああああ。
「死ぬ前に、言ってくれれば良かったのに。未来。こんなクズども、お父さんがあっという間に皆殺しにしてあげたのに。未来。こんなクズどものためになあああああ」
親父の顔がクシャクシャに変形した。隠していたドロドロの中身が出てきて鬼の顔になった。鬼の声になった。一瞬俺は親父に食い殺されると思った。俺のせいじゃない俺のせいじゃないなんで俺がこんな目になんで俺がこんな目になんで俺が……。
親父が釘ホウキを引き構えた。やめて助けて。俺は体を反らせてケツを守ろうとした。自分の股間がちょっと見えた。真っ赤に焼けただれてどこがどうなってるのか分からなくなっていた。
親父が鬼の顔で俺の腹を殴った。痛えええ。体が曲がる。
「きちんとやるんだよ。きちんとなあああああああ」
親父が物凄い力で釘ホウキを突き込んだ。ビジブジッ、と肉の裂ける音がした。
俺のケツが爆発した。腹が爆発した。宇宙が爆発した。真っ白になった。
真っ白だ。世界が飛んだ。何も考えられない。
「そうだきちんとやるんだよ。倍返し四倍返し十倍返し、百倍返しだあああああ」
親父がホウキを何度も往復させる。グジビジブギと腹の中で音がする。飛んだ。全部飛んだ。へへへへへ。えへへへへへへ。
親父がホウキを引き抜いた。深呼吸して息を整え、また笑顔になって親父が言った。
「じゃあ、これを舐めてもらおうかな」
親父がホウキを見せた。
ホウキの柄は真っ赤になって、釘に血やらクソやら肉やらが絡みついていた。えへへへへ。うへへへへへ。いひひ。あひひひひ。
「舐めるんだ。さあ、きちんとな」
親父がホウキを逆手に持って振り上げた。俺の口に突っ込む気だ。きっと突き抜ける。それで全部終わるんだ。はへへへへへへ。
ガラスの割れる音がした。「やめろ。何をしている」という叫び声。男の声。サッシ戸の方。カーテンの隙間から人が覗いていた。警官だ。拳銃。
「やめろ。撃つぞ」
親父はそちらを見て、もう一度俺に向き直った。ホウキを振りかぶる。
ホウキが来た。俺は避けようとした。銃声。痛み。顎。
「ははははは。はははははは」
親父の笑い声。また銃声。足音。
俺の顔にホウキが突き立っていた。左頬と顎。俺は生きてるのだろうか。うへへへへへ。
俺は何も分からなくなった。
三
俺は、化け物になった。
何十回も手術した。シリコンの鼻も耳もついた。でも鏡を見るとやっぱり化け物がいた。左顎は歪み、口が曲がり、頬には大きな傷痕が残っている。歯は十二本折れていて、差し歯と入れ歯の両方を使っている。
右手の指は短くなった親指だけだ。何もつかめない。焼けた股間は植皮もしたが、ペニスは半分の大きさになってしまった。右の睾丸は破裂していたので手術で取られた。釘ホウキを突っ込まれた時になったらしい。膀胱も前立腺も破裂したのでチューブを通して袋に直接小便が溜まるようになっている。肛門も直腸も駄目になり、人工肛門だ。
あの時警官が現れたのは、隣に住む田渕のじいさんが通報していたのだった。悲鳴を聞いて、玄関のドアを数個のコンクリートブロックで塞いであったのを見て異変に気づいたという。だがもっと通報が早かったら、警官が駆けつけるのが早かったら、俺はもうちょっとましでいられたはずだ。そう思うとドロドロとした恨みが湧き上がってくるのだった。
ミクミクの親父……鬼倉正道はパトカー数十台とのカーチェイスをやらかし、最後は車ごと崖を飛び出して海に落ちたそうだ。車は引き揚げられたが奴の死体は見つかっていない。
新聞に色々載った。鬼倉正道は大手広告代理店のサービス部の部長だったらしい。どんなクレームにも対応できるやり手だったとか。きちんとするのが好きだったんだろう。ミクミクの母親は十年以上前に病死して、ミクミクは一人っ子だったとか。でもそんなことはどうでもいい。
殺された俺のママの名前は出たが、俺の名前は載らなかった。被害者だがいじめをやった加害者でもあるのだから、未成年ということに配慮したのだろうと俺の親父は言った。俺達のやったいじめについても色々報道されたから、インターネットなんかでは俺のことを自業自得と言ってる奴らが多かった。畜生。他人は勝手なことをほざきやがる。このくらいのいじめなら、お前らだってやってるだろうによ。
毎晩のように夢を見る。ミクミクの親父が俺の指を切り落としたり股間をアイロンで焼いたり、あの釘だらけのホウキの柄を俺のケツに突っ込んでグリグリとえぐる夢だ。夢の中なのに物凄く痛くて、そのたびに俺は悲鳴を上げ、病院の薄暗い個室で目を覚ます。もしかして本当にあの親父が来ているのではないかと心配になって、息を潜めて室内を見回す。延々とその繰り返しだ。奴の死体が見つかるか逮捕されるまで俺は安心できない。でも逮捕されても脱獄して俺を襲いに来るかもしれないから、死体の方がいい。なにしろ奴はきちんとするのが好きで、俺への復讐はまだ終わってないのだから。主治医に睡眠薬や精神安定剤をたくさんもらっているのだが、それでも夢ばかり見る。
ない右手の指がうずく。体を動かすたびに股関節が痛む。体中が軋んで死んでしまいたくなる。もう俺の人生に希望は残っていない。痛みと不安と、恨みがあるだけだ。
俺が一番がっかりしたのは、ミクミクをいじめた他の奴らが無事だったってことだ。俺の家が親父の最初の訪問先で、他の奴らは俺が襲われたのを新聞やテレビで知ったくらいだろう。無事なのに、俺のところに見舞いにも来ない。携帯でメールしても返事は来ないし電話もつながらない。俺があいつらの罪を全部一人でかぶってやったというのに。
なんで俺だけがこんな目にあわされるんだ。奴らも一緒にミクミクをいじめたから同罪のはずだ。タカシもヨーコも板垣もトッチョも同罪だ。俺と同じだけの罰を受けるべきなんだ。どうしてミクミクの親父は最初に俺にしたんだ。小さなものから始めて大事なのは最後にすべきって言ってたじゃないか。なら奴らが先で、俺が最後のはずじゃねえか。
俺がなんとかしゃべれるようになった時、見舞いに来た俺の親父にその話をした。あんたも親なら、それらしいことをしてくれよ。俺と一緒にミクミクをいじめてた奴らを、俺と同じ目にあわせてくれよ。それか、ミクミクの親父の親戚を探し出して、拷問してくれよ。ママも殺されたんだから、こっちだって向こうの家族を殺したっていいじゃねえかよ。
俺の親父は困ったような顔で黙り込むだけだった。その目は、俺を軽蔑してるようにも見えた。畜生。それでも親かよ。ミクミクの親父はちゃんと息子のために頑張ったんだぞ。
どうして俺だけがこんな目にあわないといけないんだよ。どうして俺だけがこんな化け物にされて人生を台なしにされて、他の奴らはのうのうと生きてやがるんだよ。不公平だ。あいつらも同じ目にあわせないと俺の気がすまない。
入院中、ずっと俺はそのことばかりを考えていた。
四
俺は三ヶ月で退院した。まだリハビリも続けないといけなかったし、後二回形成手術が必要と言われたが、俺はできるだけ早く退院したかった。奴らが退学したり転校したりして、消えてしまう前に。
元仲間達には連絡を取った。俺の退院パーティーに呼ぶためだ。最初、メールの返事はなかったが、鬼倉未来をいじめ殺した犯人として俺達の集合写真をネットにばらまくと脅したら、すぐに参加の返事が来た。どうせ嫌々だろうけれど。写真には俺の顔も写ってるが今更どうなったって構わない。タカシもヨーコも板垣もトッチョも赤井も全員揃う。完璧だ。これで一気に行ける。
病院から俺を乗せて家に帰る間、親父はずっと黙って運転していた。俺が何をするのか薄々分かってるのだろう、たまに何か言いたそうに俺の方を見たが、俺が見返すとすぐ目をそらした。フン。このヘタレ野郎が。
俺はすぐ準備に取りかかった。物置から電動鋸に電気ドリルとロープを持ってくる。柳葉包丁にホウキに釘、ミキサーもアイロンもちゃんとある。短い右手の親指で釘を挟んでホウキに打つのは凄く苦労して、パーティーの時間に間に合わないかもと焦ったがなんとかなった。柄の先端は刺さりやすいように削って尖らせた。これでいい。うまくいかなかったら包丁と電動鋸で終わらせればいい。
準備が終わってリビングに戻ったら親父はいなかった。パーティーの前に追い出すつもりだったが、もう逃げちまったらしい。テーブルには寿司やピザ、チキンなんかの出前が並んでいたので安心した。俺の言った通りに注文はしていたようだ。
午後七時になり、元仲間五人がやってきた。タカシにヨーコに板垣にトッチョに赤井。誰も入院中見舞いに来なかった。五体満足な奴らだ。
彼らは俺の顔を気味悪そうに見て、「大変だったな」とか「大丈夫なの」とか「学校はどうするんだ」とか上っ面なことを言った。
「ばあ、座でよ。まずがんばいじようぜ。おでのだいいんいばいだ」
俺の台詞がよく聞き取れなかったのだろう。元仲間達はちょっとびっくりした顔をした。
神経と筋肉の障害でうまく発音できないのだ。この後遺症は一生続くだろうと医者は言っていた。だが今はそんなことは気にならない。俺はニヤつきそうになるのを我慢していた。さあ、乾杯だ。
用意したワインには睡眠薬と安定剤をたっぷり溶かし込んであった。ビールは仕掛けられないから駄目だ。ワインを拒否された時のために、一リットルパックのジュースにも薬を溶かしておいた。
彼らはぎこちない笑顔になって、ワイングラスに口をつけた。
「ざあ、どんどんのべよ。おでのだべどおいばいだがだな」
彼らは黙って食べ、ワインを飲んだ。俺もワインを飲む。溶け込んだ薬は俺には効きやしない。この何倍もの量を毎日飲んでるんだから。
彼らはまるで拷問でも受けてるみたいに苦しそうな顔で飲み食いしていた。ははっ。馬鹿だな。本当の拷問は、これから始まるんだ。
十分もせずに効果は出始めた。ヨーコがフラフラと揺れている。板垣もトッチョも眠そうにして目をシバシバさせていた。
「おばえら酔うのばやいな」
俺はからかってやった。そのうち赤井が前のめりに崩れて、テーブルにドンと額をぶつけた。はは。
眠そうな顔を見合わせてから、彼らは怯えた目で俺の方を見た。
「翔太、まさか」
タカシが立ち上がろうとしたので俺はすぐ左手の金槌を脳天に叩きつけてやった。「ウンッ」とうめいてタカシがひっくり返った。ざまあみろ。他の奴らも逃げようとするが体がうまく動かないようだ。俺はとりあえず金槌で頭を叩いていく。それから手足を縛ってサルグツワをしないと。
俺だけがこんな目にあうなんて不公平なんだ。こいつらも、同じ目にあわせてやるべきなんだ。倍返し、四倍返し、いや、十倍返しだっていいんだ。その後がどうなろうと知ったことか。
這い回るトッチョの頭に金槌を振り下ろした時、コンコン、と、天井から音がした。
え。何だよ。ネズミかよ。俺の家の天井裏に、ネズミとかいるのかよ。でも、ノックするみたいな音だった。窓を叩くみたいに。あの時みたいに。
コンコン、と、また、音がした。
俺は、凍りついていた。ゾワリとする気持ち悪い感触がふくらはぎをなでる。ケツから腹の中までが猛烈に痛み出した。
「翔太郎君」
天井裏から声がした。嘘だ。嘘だ嘘だ。何度も聞いた声だ。何度も夢で聞いた声だ。何度も何度も……。
いきなりエンジン音がして、リビングの天井をぶち破って刃が現れた。回転する刃だ。チェーンソーだ。ドギュルルルと回って木クズを散らして、チェーンソーはどんどん天井を切り開いていった。
バジュ、と、切り抜かれた板が落ちた。テーブルのチキンが潰れた。それからすぐに丸いものが落ちて、俺の足元に転がってきた。
血みどろの、俺の親父の生首だった。いつの間に殺したんだ。チェーンソーで切ったのか。でも音はしなかった。ならあれか。ペーパーカッターで切ったのか。あいつはドイツ製が好きだった。でもあれは置き去りになってて警察が回収したはずだ。
「翔太郎君。渡しておくよ。君のパパの首だ」
チェーンソーのエンジン音が止まって、天井の声が言った。俺は、恐る、恐る、穴を見上げる。
ボサボサの髪の、汚れきった顔が覗いていた。汚れていたがあの顔だった。ミクミクの親父の顔。やっぱり、生きてやがったんだ。生きて、待ってやがったんだ。
「翔太郎君、退院おめでとう。待っていた甲斐があったよ。心配していたんだ。ひょっとして君達がそのまま引っ越してしまって、二度とここに帰ってこないんじゃないかってね。でも君のパパはまだここで暮らしていたから大丈夫だと思った。私はね、ずっと天井裏で、君を待っていたんだ。食糧を持ち込んでね。トイレと水道は君のパパのいない昼間に使わせてもらっていたよ。でもね、あまりご厄介になるのもいけないから、風呂は遠慮していた。私はその辺りをわきまえる方でね」
ミクミクの親父は薄笑いを浮かべていた。ニヤニヤ、ニタニタと、とても楽しそうに笑っていた。
「ちなみに、出入り口は元々押し入れの天井にあるから、そこを通れば別に天井を割らずにすむんだ。今わざわざチェーンソーを使ってみせたのはね、正直なところそんなに深い意味はないんだ。ただ、ちょっと君を驚かせてみたかっただけなんだ」
俺の体が勝手に震え出す。力が抜けて金槌が落ちる。左手の指先が痛む。右手のない指が痛む。顎が、顔が、鼻が耳が。あああ。痛い痛い痛い痛い。
「翔太郎君。あの時私は忘れ物をしていたんだよ。君達は未来の裸の写真を撮って、ネットに流したんだよね。私もきちんとそれをやっておかないといけなかった。だから今回は、デジカメを持ってきたんだ」
またあれを、味わわないといけないのか。俺が何をしたってんだよ。なんでこんな目にあわされないといけないんだよ。ただちょっといじめただけじゃんか。誰だってやってるじゃねえか。なのになんで俺だけこんな目に……。
「全員揃っているね。うん、いいことだよ。君達をバラバラにして、内臓を引きずり出して、その写真をネットにばらまいてやろう。それできちんと、十倍返しくらいになるかな」
室内をゆっくり見回して、ミクミクの親父がにこやかに言った。目だけが笑っていなくて、ギラギラと殺意に燃え狂っている。穴から荷物が落ちてきた。ドスン、と重い音だ。段ボール箱だ。きっと道具が詰まっているんだろう。色んな道具が詰まっていて、きっと俺達に色んな使い方をするのだ。
あああああ。ああああああ。えへへへへ。うへへへへへ。
「これからきちんと、ていねいに、やっていこうじゃないか」
ミクミクの親父が、ズルリと穴から下りてくる。蛇のように逆さに下りてくる。その顔の薄笑いが、ゆっくりと、鬼の形相に変わっていった。