同じ名の宿敵

 

  一

 

 名前。

 それは、カイストにとって自身と他を分ける印であり、存在証明そのものだ。自身の強さを、活躍をライバル達に見せつけ、その名を彼らの記憶に焼きつける。賞賛され、嫉妬されるのもその名と共にだ。

 その同じ名を一般人が使っていたのなら、まあ、許せる。どうせ彼らは有象無象の泡沫だ。たまたま名前が同じなのは仕方がないし、気にしない。

 だが、他のカイストが自分と同じ名を使っていた場合はどうするか。

 絶対に、許すことは出来ないのだ。

 当時のツェンクは五千百万才。Aクラスを目指して修行を続けながらも成長の鈍化を自覚し始めていた頃だ。年を取るごとにそうなることは聞いていたからそれほど焦りもなかった。じっくりと、着実に技を磨き続ければいずれは高みに辿り着けると信じていた。

 自分でも戦う結界士、或いは結界を駆使する戦士として、ある程度名を知られる立場になっていた。『杭打ち』ツェンクという二つ名もそれなりに定着しつつあり、自分という存在を四千世界に食い込ませる気概に満ちていたのだ。

 発端となる情報を得たのは多層構造世界のバーメイセルだった。傭兵の仕事を終え、ガルーサ・ネットの出張所の一つに立ち寄った際、店員に教えられたのだ。全く同じ名のカイストが商会に登録してきたと。

「どうなさいますか」

 店員は澄まし顔に意地の悪い期待を込めてツェンクに尋ねてきた。

 こういう場合、カイストなら必ず同じことを言う。やはりツェンクも酷薄な笑みを浮かべてお決まりの台詞を返すことになった。

「そりゃあ、早いところ会って、ぶっ潰すさ」

 といっても、最初から問答無用で殺す訳ではない。先輩からの『説得』に応じて名前を変えたり語尾を少しいじったり、ラストネームをつけ足したりする素直なカイストもいる。

 そうでない場合は名を賭けて殺し合うか、相手が屈服するまで何百回でも殺し続けることになるが。

 だが店員は微笑しながら言った。

「向こうのツェンクさんもそう仰っていたそうですよ」

 ツェンクの胸に激烈な怒りが燃え上がった。穏便な『説得』など不要のようだ。

「なるほど。今回の小僧は生きが良さそうだな」

 ツェンクが「小僧」という言葉を使ったのは、相手が駆け出しのカイストなのがはっきりしているからだ。

 ガルーサ・ネットまたの名をガルーサ商会はカイストが運営するカイストのための組織で、世界を跨ぐ通信や死亡時の荷物の回収・保管、現在位置と正歴年月日が分かる携帯情報端末の販売など様々な重要サービスを提供している。出立して他のカイストと交流すればすぐに登録を勧められるため、遅くても数千才程度のうちに名前かぶりが判明するのだ。ちなみに、携帯情報端末は激しい戦闘ですぐ壊れる。

「それがですね、向こうのツェンクさんも、小僧という年齢ではないようなんです」

「へえ、何才だ」

「特に非公開指定にはなっていませんのでお教えしますが、千四百万才だそうです」

 ツェンクは眩暈を覚えた。ガルーサ・ネットを知るのが遅くなり一万才を過ぎてからの登録というのは割とある。十万才を過ぎてからの登録も、ないこともない。だが、千四百万才というのは異常過ぎた。

「それは……確かに、小僧じゃねえな。なんでそんな年になるまで登録しなかったのかね」

「修行ばかりしていたので登録が遅れたらしいです」

 店員の意味深な微笑の意味をツェンクは理解した。

「そいつの居場所は。連絡は取れるか」

「三十三日前まではネスネックですね。直接のメール送信も可能です」

 という訳でツェンクは同じ名前のカイストに早速メールを送った。文面はこんな感じだ。

 

 

後発品のツェンクへ

 

 こっちは本物のツェンクだ。お前より先にツェンクを名乗って実績を積んできた強いツェンクだ。

 後発で偽者のツェンクを教育してやる。

 こっちは今バーメイセルにいる。そっちは何処だ。

 中間辺りのフリーゾーンで待ち合わせたい。

 返事をくれ。

 

 

 だが、返事のメールが届いたのは三年後だった。

 

 

ツェンク

 

 めーるのだしかた

 

 

 あっ、こいつ。ツェンクはイラッとして、ピンと来て、ついでに頭を抱えた。

 こいつは、脳筋不器用タイプだ。

 こういうカイストはたまにいる。愚直で、一つのことにのめり込み、他のことは放ったらかしにする。社会の仕組みや機械の操作など、複雑で面倒なことには興味がなく、覚える気がないのでいつまで経っても下手糞なままだ。障害は力ずくで吹き飛ばせばいいと考えている。

 ツェンクの嫌いなタイプであり、同時にカモでもあった。面白いくらい簡単にトラップに掛かって死んでくれる。

 ただし、馬鹿な死に方を延々と繰り返し、それを乗り越えてきた脳筋には、恐ろしく強い奴がいることも、ツェンクは知っていた。

 油断はしない。全力で潰す。

 まだ顔を合わせてもいないのに、ツェンクの中で殺意が燃え盛っていた。

 相手のメールの送信場所はまだネスネックのままだった。ツェンクは「俺が会いに行くからそこで待っていろ」とだけ送信し、急いで移動することにした。

 心配なのは、相手がこのメールをちゃんと読んでくれるかどうかだった。

 

 

  二

 

 正暦三百九十六億年七千八百十六万二千七百七十二年第百六十五日。ツェンクは結果的に第二の出立となってしまったその日のことを鮮明に記憶している。

 加速歩行を使って世界を駆け、ゲートから次のゲートへ、更に次のゲートへ。そうして、急ぎはしたが移動に十八年かかった。

 途中でガルーサ・ネットの支店や出張所に立ち寄って確認したが、相手からの返信はなかった。ただ、こちらが出したメールを読んだことは分かった。それ以降商会を利用した記録がなく、おそらくはネスネックに留まっているだろうが、こういうタイプは突飛な行動をすることもあるので到着するまでツェンクは不安だった。

 ネスネックは地形や気候も含めて環境が数十年単位で激変するため、人類は新たな生存圏を求めて常に戦争をしている。フリーゾーンで、カイストが傭兵として殺し合いを楽しむのに打ってつけの世界だった。

 ゲートに近い狭いエリアは一応中立地帯となっており、カイストを饗応・勧誘するための歓楽街にガルーサ・ネットの支店がある。加速歩行を使うまでもなくゲートからそう遠くない場所に店舗が見えた。

 グォワァーン、グォワァーン、という断続的な轟音に気づいたのはすぐだった。

 ペースは一定でなく五秒から八秒に一回。何か硬いものをぶっ叩く音だが、警鐘にしてはペースが遅いし、腹の芯まで響くような重苦しさを感じた。いや、これは体ではなく、魂を脅かすような重さだ。

 すれ違う一般人達の顔はやつれ、疲労と諦念が染みついている。周辺国の戦争による影響ではなく、この轟音のせいではないか。そう考えた時、ツェンクは嫌な予感が強くなっていた。

 ツェンクの予感は、割と当たる方だ。

 轟音の発生源はガルーサ・ネットの店舗の近くにあった。強烈な我力の存在を感じる。轟音はカイストによるものだ。

 と、山がないことに気づく。ネスネックに来たのは何千年かぶりだったが、前に来た時は店舗の向こうに切り立った岩山があったのだ。

 ゲートの周辺は結界が張られていて地形の変化を免れていた筈だ。その結界は今も感じ取れる。インフラなどの都合で山を片づけたのか。小さな砕けた無数の岩が広範囲に散らばり積み重なっているのが見える。山を削ったのは最近のようだ。嫌な予感が益々強くなった。

 ガルーサ・ネットの店舗や酒場の前の広場に、幅四十メートルほどの大きな穴が開いていた。轟音はそこから聞こえていた。

 石畳をぶち抜いた穴の縁に歩み寄り、ツェンクは穴の底で槌を振るう力の塊を視認した。

 半裸の痩せた男だった。身長はツェンクより低く百六十五センチほどだ。元はちゃんとしたズボンだったのだろうボロボロの腰巻き。それ以外は何も身に着けていない。髪も髭も伸ばし放題で、脂と埃で白く固まっている。その肉体はよく言えば引き締まっているが、実際は戦うために必要な筋肉までしぼみ、栄養失調で死ぬ寸前ぎりぎりのところで我力による最低限の生命維持がなされているようだ。

 そして、傷。その男の体には多数の傷痕があった。過去世で負ったと思われる古い傷から、数週間前についたような新しい傷まで。ざっと見える範囲で大小合わせて二百以上。

 戦士に傷痕はつきものだが、この男の傷はどうもおかしかった。それぞれの傷が妙に深いのだ。防御が下手なのか、そもそも防御をする気がないのか。しかし時間経過と共に消えるであろう傷痕の多さからすると、重傷を負っても問題なく戦えるということか。

 男は長柄の大きな金槌を両手で握っていた。柄まで金属製のかなり使い込まれた代物。男の我力が染みついて強化武器と化していることにもツェンクは気づいていた。

 その金槌を男が大きく振り上げる。槌が尻につきそうなくらいに振りかぶり、渾身の力で振り下ろした。グォワァーン、と硬く重い音が地を揺らし、ツェンクの顔を叩いた。

 男は地中を掘り抜こうとしている訳ではなかった。何か硬い塊があって、それに金槌を叩きつけているのだった。質量二百トン以上の金属塊、これも我力強化品。

 この男は鍛錬をしていたようだ。最初は地上にあった標的が、打撃の繰り返しで地中に埋まり込み、結果的にこんな大穴を掘ってしまったらしい。

 ただ、鍛錬というには一撃一撃に凄まじい気迫が込められていた。技のキレやスピードを向上させるためではない。ただ、全力で標的を叩き壊すための鍛錬だ。

 数秒で男の性質を一通り見極めると、ツェンクは穴の底へ声をかけた。

「おい」

 その時男は金槌を再び振り上げる途中だった。ツェンクの呼びかけを無視して振り下ろし、轟音を立ててまた金属塊を少し下に沈めた。

「おい、お前がツェンクだろう。偽者の」

 相手がまた振り上げる動作に移る前に、ツェンクは大声で呼びかけた。そこで男は異様な鍛錬を止め、穴の縁に立つツェンクを見上げた。

「お、ということは、お前が俺の偽者か。待っていたぞ」

 男はやはり傷だらけの、角張ったいかつい顔をしていた。糸のように細められた目は、対象をぶっ叩いて飛散した欠片が顔に当たるため常態化したものかも知れない。

 そして男は髭に覆われた口元をニッと笑みに曲げて言った。

「じゃあ、殺し合うか」

 男は朗らかで、殺意に燃えていた。

 ツェンクはイラッとした。自分と同じ名前を持つこの男の何もかもがツェンクの心を逆撫でする。用心深く陰険で、搦め手を好む自分と正反対であるが故に。

 冷静さを取り戻すため溜め息を一つつき、ツェンクは同じ名の男に告げた。

「その前にまずは風呂に入れ。それから飯を食え。次に話をする。殺し合いはその後だ」

 男は意外そうに眉をひそめ、首をかしげて少し考えた末に、「分かった」と言った。

 地中に片手を突っ込み、幅一メートルほどの金属塊を引っ張り出す。元は立方体だったのかも知れないが、度重なる打撃によってグズグズに変形していた。高密度超硬度の強化品は錬金術士の作のようだ。

 右手に金槌を、左手に金属塊を引っ提げて男は穴を登り、金属塊を無造作に地面に置いた時にペキッ、と音が鳴った。

「おっと」

 金属塊に亀裂が入っていた。それが更に細かい亀裂となって放射状に広がっていき、限界を迎えると一気に崩壊して粉末の山になった。

「よしっ」

 満足げに男は頷いた。三メートル横にツェンクがいるのに完全に無防備だった。殺し合うのは後だと確かに伝えたが、だからといって油断すべきではない。相手の善意に命を預けるのは怠慢だ。それでまたツェンクはイラッとした。

「それがお前の修行か。硬いものをとにかくぶっ叩くのが」

 手を出す代わりに、適当に思いついた言葉を投げた。

 男は何に引っ掛かったのかまた少し考えた後、むさ苦しい顔に少年のような無邪気な笑みを浮かべて答えた。

「壊せないものをぶち壊すのが好きなんだ」

 それから男が風呂のため宿に行っている間に、ツェンクはガルーサ・ネットのネスネック支店に入った。

「ツェンクさん、やっと来てくれましたね。あっちのツェンクさんには困ってたんですよ」

 店員はあからさまにホッとした様子だった。

「中立地帯の目印になっていたカレマンデ山は十年で粉々にされて、止めに入ったカイストも皆殺されてしまいました。錬金術士の方が自己修復機能付きの標的を提供してくれたので助かりましたが、そのストックも残り一個で危ないところでした」

「ふうん。奴にどのくらい殺された」

「十八年間でBクラスが十二人、Cクラスは百人ちょっとだったと思います。隙だらけに見えるのでついつい仕掛けてしまう人が多いんですよ」

 実際、あの男は隙だらけだった。まともな戦闘技術を習ったこともないのだろう。

 叩いた金属塊が地中に沈んでいくのも下手糞だからだ。カイストがきちんと技量を積み上げれば、衝撃を標的の外に逃がさない打ち方が出来るようになる。全くの工夫なしなら一撃で地中深くに潜ってしまうだろうから、少しは技術もあるのだろうが。

 宿から男が出てきたのを察知したのでツェンクは店を出た。

「よろしくお願いしますね」

 店員がツェンクの背にかけた言葉の意味は、あの迷惑な男をこの地から連れ出すか、始末して欲しいということだろう。

「風呂に入ったぞ」

 ツェンクの姿を見つけて男が言った。相変わらず腰巻きだけの服装だ。ほんの数分程度の入浴で、髪は脂っぽさがなくなっていたが体のあちこちに垢と汚れが残っていた。その適当具合にまたツェンクはイラッとさせられる。

「そうか。なら次は飯だ」

 近くの飲食店にテラス席があった。二人はそこへ行き、テーブルを挟んで向かい合わせに座る。適当にそして大量に注文し、料理を待つ間にツェンクは改めて名乗りを上げた。

「俺はツェンクだ。五千百万才のBクラス。結界士であり戦士だ。最近は『杭打ち』という二つ名で呼ばれることもある」

「そうか。俺もツェンクだ。あそこの商会の奴に言われたが、俺は千四百万才らしい。多分……戦士、だな。殺し合うからな」

 男は言った。

「ツェンクってのは特に珍しい名じゃあない。一般人にもざらにいる。そもそも俺は一般人だった時からツェンクだ。そっちはどうだ」

「そうだな……確か……ルチェン。うん、ルチェンだったな、最初の最初は。いつの間にかツェンクになった」

 と、そこで飲み物とサラダが来たので会話は中断された。

 以降、男は黙々と食べ続けた。それを見ながらツェンクもそれなりに食べる。移動に注力していたので充分な栄養を摂る暇がなかった。何年も飲まず食わずで動ける体だが、たまには食い溜めしておかないと後が辛くなる。ツェンクはここで死ぬつもりはなかった。

 我力の一部を消化力に回して腹の重みを軽減しつつ、ツェンクは対面の男の食べっぷりを観察していた。

 無造作で、一皿食い尽くしては別の皿に移る。美味そうでもまずそうでもない。食事を楽しむということに興味がない様子だった。

 長柄の金槌は右太股に立てかけてある。興味があるのは、その金槌で何かをぶっ叩くということだけなのだろう。

 テーブルに一杯だった皿が一掃され、第二陣まで片づいたところで、ツェンクは声をかけた。

「そろそろいいだろう」

「そうか」

 薄い酒の入ったグラスを飲み干して、同じ名の男がツェンクを見返す。

「念のため聞くが、改名する気はないか。途中で変えたんなら今からまた変えるのもそんなに抵抗ないだろ」

「ないな。俺は今の名が気に入っている」

「少し語尾を変えるくらいはどうだ。ツェングとかツェンカーとか。セカンドネームを追加する手もあるぞ。ツェンク・何々とかな。名前かぶりを知った時に若い方がよくやる方法だ」

「嫌だ。そっちこそ変えたらどうだ」

「お断りだね。お前の四倍近い期間をこの名でやってきた。今更変えられるかよ」

「ならやっぱり殺し合いだな」

 男の右手が金槌の柄に伸びかける。

「まあ待てよ。先にルールを決めとかないとな」

「ルールなど必要か。今から殺し合って、負けた方が名前を変えるだけでいいだろう」

 この時、ツェンクは迷いを感じていた。

 そういうやり方もある。ただ一度の勝負で決めることが。双方が絶対の自信を持っていなければ成立しないやり方だ。

 目の前の男の自信は相当なもののようだ。単に潔い性格というのもあるかも知れないが、それでも相当な自信だ。

 だが、ツェンクの方は既に、絶対の自信以上のものを持っているのだった。

 了承して殺して相手を改名させてあっさり解決。それが手っ取り早かったし、これまで名前かぶりでトラブルになった時もそうやって片づけてきた。

 だが、この真っ直ぐ過ぎる男にそれをやるのは、ツェンク自身の傷になりそうな、嫌な予感がした。

 この男はおそらく大成するだろう。このままくじけず迷わず真っ直ぐに伸びていけば。ツェンクがこいつを騙し討ちにして鼻柱をへし折り、改名させ、生き方をねじ曲げなければ。

 ここでそれをやれば、後々大成して自分を脅かすのが怖くて芽を摘んだと、ツェンク自身が考えてしまわないか。ほんの僅かな引け目でも、十億年後、百億年後には大きな傷になってはいないか。

 最強の座を目指しているからには、欠片ほどの妥協もしたくなかった。

 仕方ねえな。ツェンクは決断した。

「そういうやり方もあるな。だが別のやり方もある。何十回、何百回でも殺し合って、相手が屈服するまで続けるやり方だ」

「屈服するまでか」

「そうだ。この相手には絶対勝てないと理解して、心が折れるまでだ。そうなった方が改名する。それまで殺し合いを続ける」

「俺の心は折れんぞ」

「口ではそう言う奴が多いな」

「うーん。一回勝負の方が早いんだが」

「あのなー、俺の方が四倍年上なんだぜ。一回勝負なら俺の方が有利な訳。お互い一億才を越えてたら、年齢差はあんまり関係なくなるがな。お前にもチャンスをやろうとしてるんだぜ」

「有利とかどうとか、別に俺は構わんが。俺が勝つからな」

「俺の方が構うんだよ。お前は年上の俺に勝って嬉しいだろうが、俺はお前に勝っても嬉しくないんだよ」

 少し考え込む様子を見せた後で、男の細い目が更に細くなった。

「お前、もしかして、俺にハンデをやろうとしてないか」

「ハンデとは違うな。俺自身のプライドの話だ」

「プライドか」

 また男が考え込んだ。

「何度でも殺し合えるカイストならではのやり方だ。まあ、お前が心の強さに自信ないってなら、俺は別に一回勝負でもいいがな」

 こんなふうに挑発すればこの男がどう反応をするかは分かっていた。

 歯を剥き出して男は即答した。

「分かった。心が折れるまでだ」

 ツェンクは思わず微笑してしまった。

「よし。なら俺が無知なお前に少しばかりレクチャーしてやろう。お前さぁ、この十八年間、いや、最初に俺のことを知ってからは二十一年間か。その間に、俺のことを調べたか。何が得意でどんな戦い方をするとか、噂を集めたりしたか」

「いや。ずっと修行していた」

「俺は調べたぜ。お前はガルーサ・ネットに登録したばかりで殆ど情報がなかったけどな。少なくとも情報を集める努力はした。それから、戦うための下準備もだ。お前はここで待っている間に随分他のカイストと戦ってぶっ殺したみたいだが、俺と殺し合いになることが分かってたのに重傷負ったらどうするつもりだったんだよ。『僕ちゃんは怪我してるんだから治るまで待ってよ』って言い訳するのか」

「言い訳などせん。いつでも勝負は受けるだけだ」

「あのなぁ、そういうのは、相手のことを舐めてるんだよ。相手のことを知らなくても勝てるとか、怪我してても勝てるとか、自分が万全じゃなくてもお前程度にはこれで充分だって言ってるのと同じことなんだよ。戦う相手を馬鹿にしてるんだよ」

「馬鹿にしてはおらん。俺はいつでも戦えると言ってるだけだ。余計な話はもういい。始めていいか」

 男が金槌に手を伸ばそうとしたのでツェンクは言ってやった。

「とっくに始まってるんだよ、偽ツェンク。自分の腕を見てみろ」

 金槌を掴む感触がないのに気づき、男は自分の右腕を見た。

 肘部分で綺麗に切断された右腕を。

「痛みも違和感もなかったろ。少しずつお前の感覚をいじってたんだぜ。おい、左腕も見とけ」

 同じく左肘も切り落としてあった。「いつでも勝負は受ける」と男が言ったところで頃合いと見てやった。

「ゲートを通ってこっちに来てからすぐ結界を張った。もう四十本以上杭を打ってんだぜ。五重に張った結界のど真ん中にお前は……」

「うおおっ」

 立ち上がりかけた男の喉に湾曲した刃が食い込み、そのまま首を切断した。コートの両袖にいつも忍ばせている刃渡り二十センチの仕込み鎌。ツェンクは相手を殺すまで油断しない。切り離した腕がピクリと動くことも見届けていた。

「転生したらちゃんと俺を追ってこい。追い方が分からないならこっちから行くぞ」

 地面に転がり落ちた男の頭にツェンクは告げた。

 まだ意識の残っていた偽ツェンクは、強い目でツェンクを睨んでいた。

 という訳で、最初の勝負はあっさりツェンクが勝った。

 

 

  三

 

 偽ツェンクが七百年後にケルパサムでガルーサ・ネットにアクセスしたため転生を確認出来たが、案の定モタモタしていた。ツェンクの現在位置確認までは出来たようだがゲートを利用した世界間移動に慣れていないようだ。

 仕方がないのでツェンクの方から殺しに行くことになった。動かずに待つようメールを送り、九年後にケルパサムに到着したら偽ツェンクは相変わらず金槌で何かを叩いていた。

 ただし、前に見た全金属製の我力が染み込んだ品ではなかった。

「前の金槌はどうした」

「死んだ時になくした」

 偽ツェンクは特に気にしていない様子だった。愛用の武器をなくすとか壊すとかはカイストにとって日常茶飯事で、それ故に武器は数打ち物にして技の方を磨いたり、特殊な品なら予備をガルーサ・ネットに預けていたりするものだ。

 それはそれとして、ツェンクはまたイラッとした。

「ガルーサ・ネットの役割をちゃんと教えてもらったか。死んだ後に持ち物を回収してくれるサービスもやってるんだぜ。まあお前は金槌以外何も持ってないし、金槌もこだわりがないなら別にいいんだが、サービスを知ってて利用しないのと、知らないのとは違うからな」

「どうでもいい。始めよう」

 偽ツェンクが言う。前回の勝負でつけた両肘と首のダメージはまだ完治していなかったが、それを口実に逃げるような男ではないことも分かっていた。

「はあああぁー。あのなぁ、もう始まってるんだぜ」

 二度目の勝負もツェンクがあっさり勝った。やはり事前に杭を打って結界を展開・発動させていたのだった。

 ツェンクは結界を張るのに木の杭を使う。一本の大樹から数百本を削り出し、充分に自分の我力を染み込ませてある。ロングコートの裏地に百本以上差して携帯しているが、消耗品でもあるため予備をガルーサ・ネットに預けている。それが尽きたら別の大樹から作っておいた次のセットを使うことになる。

 複数の木の杭を地面や壁に打ち込み、囲まれた領域が結界とみなされる。使われた杭の本数が多いほど、囲まれた領域が狭いほど効果は強力になるが、制御が難しくなっていく。

 結界内の敵に直接ダメージを与える焼灼結界、凍結結界、侵蝕結界なども使えるが、ツェンクの本領は敵の弱体化と味方の強化を臨機応変に使い分けることだ。それも一定の強化・弱体化ではなく、相手の立つ場所によって或いは時によって濃淡を自在に変えられる。粘質な空気の抵抗、逆に予想外の加速、感覚の鈍麻または一部の隠蔽、視界の隅に動く人影、錯覚とリアルを混ぜ込んだ攻撃に敵は本来の力を出せぬままツェンクに首を切られることになる。

 杭は武器としても使える。相手に投げつけ、弾かれて地面に刺さった杭はそのまま結界の頂点になるし、タイミングを見計らって地面から飛び出させ敵を貫くことも出来る。ツェンクのことをよく知らない相手は結界を崩そうと不用意に杭に近づいてしっぺ返しを食らうことが多い。

 ツェンクは勝つために虚と実、魔術と体術の両方を用い、鍛え上げてきた。どんな敵にも状況にも対応可能な完成度の高さを自負していた。

 対して偽ツェンクの戦い方は単純明快だ。雄叫びを上げながら振りかぶった長柄の金槌を真正面から叩きつける。ただそれだけで、技術とか駆け引きとか皆無だ。なのに、多くのBクラスが脳天をかち割られて不様な死体を晒すことになったのは何故なのか。

 ツェンクは偽ツェンクに敗れた者達を調べ、ルースを払って問い合わせた。誇り高い戦士には断られたが、一部の者は返事をくれた。

 よく分からないうちに死んでいた。

 避けたと思ったのに当たっていた。

 それが敗者達の回答だった。

 更に検証士まで雇って現場を調べ、ツェンクはある程度の結論を得た。

 偽ツェンクは独特の術を使っている。

 魔術のような体系化され理論づけされたものではなく、魔法、というべきか。いや、カイストならば丁度良い概念があった。

 相対化現象。またの名を、強念曲理。

 ただ一つの技。他のあらゆる技術・能力を捨て、脇目も振らずただ一つの技だけに全力を注ぎ続けた結果、奇跡が起きる。

 絶対なる意志が、一点に集中した桁違いの我力が、法則をねじ曲げ世界を歪め、過程をすっ飛ばして異常な結果を生み出すのだ。

 強念曲理を使いこなす究極の強者に『剣神』ネスタ・グラウドがいる。ツェンクが出立する一億年ちょっと前に『彼』が登場したため二位に落ちてしまったが、それまでカイスト・チャート一位を永く保持していた怪物だ。予め決めておいた数十万年から百万年以上もの期間、一心不乱に上段斬りの素振りのみを続け、食事も睡眠も僅かな休憩すらも摂らないという。そんな異様な修行の区切りがついた僅かな合間に、列を作って待っていた挑戦者達を片っ端から切り捨てていく。挑戦者達の鍛え上げたどんな技も術も届かず報われず、ただの上段斬り一振りで真っ二つにされて終わるのだ。一秒に千回の超高速斬撃を振るう剣士が一刀も振るえずに斬り殺される。十キロメートル以上離れた場所から矢を放った射手が、その矢が弦を離れる前に斬り殺される。猛速で逃げていった男がネスタ・グラウドの一歩の踏み込みで追いつかれ斬り殺される。相手が真っ二つになった後でネスタが剣を振り下ろしたという訳の分からない逸話もある。

 偽ツェンクはネスタ・グラウドのような領域には達していない。強念曲理の片鱗を僅かに覗かせているだけだ。膨大な時間を経ていつかはあの領域に辿り着くのかも知れないが、今ではない。

 ツェンクは今のこいつ程度に負ける訳にはいかなかった。

 三戦目、四戦目もあっさり勝った。五戦目ともなると偽ツェンクは転生後も治らぬ傷が増え、動きが鈍くなってきた。それでも偽ツェンクは泣き言を吐かなかったし、ツェンクも容赦せず殺し続けた。

 殺して、ガルーサ・ネットへのアクセスで相手の転生を確認すれば追いかけ、また殺す。また相手の転生を待ち、確認すれば追いかけ、また殺す。相手の心が折れるまでの勝負というのはそういうものだ。

 ツェンクの勝利ばかりで十戦を過ぎたが、偽ツェンクは相変わらず何の工夫もなく金槌を振りかざし、癒えぬダメージを溜めていった。

 だが、何度敗れてもその瞳に宿る闘志は欠片も衰えず、逆にツェンクは少しずつ、不気味な圧力を感じ始めていた。

 殺すたびに、相手が恐ろしい怪物に成長していくような。自分がその手助けをしてしまっているような、嫌な予感。

 このままだと何処かの時点で負ける。一度負けたらもう二度と、勝てなくなるかも知れない。

 いや、馬鹿なことを。ツェンクは自身の弱気を振り払う。何処までも強くなるつもりでカイストをやっているのだ。Aクラスの化け物達と渡り合い、下していくために鍛え続けているのだ。

 こんなところで、こんな奴に引っ掛かる訳にはいかないのだ。

「屈服するか、偽ツェンク」

 ツェンクはいつものように、目の前の偽者に尋ねる。

「屈服、など、せん」

 偽ツェンクはいつものように、真っ直ぐにツェンクを見返して答える。砕けた顎でも拒絶の意志をはっきりと紡ぎ出す。

 ツェンクは変幻自在の技を駆使して勝ち続け、九十四戦目で初めて偽ツェンクに敗れた。

 その瞬間の思考は、「あれっ」というものだった。おかしい。よく分からないうちに倒れていた。いつの間にか視界が赤く染まっていた。完璧だったのに。完璧な戦術だった。奴は傷を負い過ぎてボロボロだった。負ける筈がなかった。

 赤い視界に、そのボロボロの男が金槌を振り下ろすところが見え、そこでツェンクの意識は途切れた。

 

 

  四

 

 九十三勝一敗。数字だけで見れば圧倒的に優勢だが、ツェンクは一敗の重みを理解していた。

 次の勝負は、絶対に負けてはならなかった。

 転生してもダメージが残っていた。右目は潰れて見えず、左半身に痺れがあり力が入りにくい。戦えるが、万全ではない。

 普段のツェンクなら、半端なコンディションで大事な勝負には臨まない。回復するまでひっそり身を隠す。

 偽ツェンクは敵対者の追い方をまだ知らないだろう。探知士のネットワークに依頼したり、相手のいる世界への最短ルートを検索したり、時には探知士を連れて加速歩行で追いかけたり、そういうのは未経験だろう。ツェンクはガルーサ・ネットに立ち寄らずじっとしていればいい。万全の状態に戻ってから偽ツェンクに連絡すればいい。

 ……だが、偽ツェンクはダメージが残っている状態でも平気でツェンクとの勝負に応じ続けた。なのにツェンクが隠れたら、自分が劣ることを認めるようなものではないか。

 故にツェンクはすぐにガルーサ・ネットの支店を訪れ偽ツェンクにメールを送り、こちらから出向いた。

 前回と同じ世界で待っていた偽ツェンクは、到着したツェンクを見て「弱ってるな、偽ツェンク」と言った。

「それがどうした、偽ツェンク。お前は弱ってるからって逃げたか」

「……そういえばそうだな」

 偽ツェンクは頷いた。彼が蓄積してきたダメージは一勝によって少し回復しているが、まだツェンクよりも重傷だ。ただ、とにかく強念曲理で金槌をぶっ放すだけのこいつと違い、精密な結界コントロールが持ち味のツェンクにとって今のダメージはきつかった。

 九十五戦目は相討ちだった。

 ツェンクは死ぬことは覚悟していた。だから自分が死んだ瞬間に発動する仕掛けを用意していたのだ。勝ったと思って気を抜いた偽ツェンクの体に百本以上の杭が突き刺さった。

 転生後、ツェンクは検証士に依頼して確認した。偽ツェンクが息絶えたのはツェンクが死んだ五秒後だった。

「五秒差なら相討ちだ」

 ツェンクは強く主張した。相討ちの定義は四千世界でも厳密ではなく、互いの納得によるものが大きい。ただし、後で死んだ方が息絶える前に誰かを殺したり何かをする程度の猶予があったら相討ち扱いにしないのが一般的だ。五秒なら、充分に相討ちだ。

「そうだな。相討ちだ」

 偽ツェンクも反論しなかったので、連敗だけは避けることが出来た。

 が、そこから先は地獄だった。

 負ける。負け続ける。周到な準備、多彩な戦術が通用しない。結界による感覚操作、運動操作、トラップ、全てが金槌の一撃ですっ飛ばされる。

 そして、積み重なっていくダメージ。脳天をかち割られるたびに思考力・判断力が落ちていく。感覚も鈍くなり体も思うように動かず、鍛え上げた技術が崩れていく。

 自分が転生した後どうやって相手と合流したのか、今何連敗しているのかもふと分からなくなった時、偽ツェンクがこちらをじっと見て言った。

「ボロボロだな、偽ツェンク」

「それら……それ、が、どうした」

 ツェンクは杭を意識する。現在結界に十三本使っている。どうしてこれだけしか打っていないのか、自分でも分からない。コートの裏地に残る杭が三十本しかない理由も、よく分からない。

「今のお前に勝っても、嬉しくないな」

 偽ツェンクの言い草に、ツェンクの中で激烈な怒りが燃え上がった。

「てめえ、俺を、俺を馬鹿にしれる、のか。お前はボロボロでも戦った、ろうが。俺を、弱者扱いすんな……」

「俺にだってプライドはある」

 プライド。最初の勝負の際にツェンクが使った言葉だった。

 偽ツェンクは踵を返し、歩き去っていく。

 その時、ツェンクは背後から襲いかかることが出来たのだ。本来ならやっていた。やるべきだった。殺した後で、果たし合いで背中を見せる馬鹿が悪いとせせら笑うべきだった。

 だが、動けなかったのは、思考力が鈍っていたせいではなく、偽ツェンクが完全に無防備だったからだ。馬鹿だからではなく、誇り高いから無防備なのだ。ここで襲ったら、ツェンクは本当に惨めでみっともない小者になってしまう。

 荒野に一人残されたツェンクは自問自答していた。

 今回はしてやられた。かっこつけられた。だが、負けた訳ではない。

 自分の心は折れたか。

 いいや、折れていない。

 ならば、ツェンクのやるべきことは決まっていた。

 次は勝つ。メタクソに勝って、転生したてでズタボロの偽ツェンクにニッコリと微笑んで、「今のお前に勝っても嬉しくないな」と言ってやるのだ。

 そして「俺にだってプライドはある」と告げてかっこよく去るのだ。

 これを絶対に、やってみせなければならない。やり返して、今の自分のような惨めな思いを味わわせてやるのだ。

 魂まで焦げつきそうな怒りの熱に焼かれながら、ツェンクはふと地獄のような未来を予感した。泥沼をもがきながら延々と殴り合うような、果てのない戦いとなることを。

 以降の勝負は互いが万全の時に限るようになった。

 そして、ツェンクは負け続けた。

 ツェンクは完璧を目指しつつ、この世に本当の意味での完璧など存在しないことを知っていた。それでも目指していた。技を、戦術を、冷静さと判断力を、肉体の隅々まで、完璧で完全な自分にしようと努めていた。

 完璧が、型破りの一撃に敗れ得ることも理解していた。

 偽ツェンクが、その型破りの一撃だった。

 それでもツェンクは諦めなかった。自分のスタイルを変えずに、ぶっ飛んだ怪物に挑み続けた。進む道に壁や障害などあって当然だ。それを承知の上で歩いてきたのだ。諦めなければ、努力を続けていれば、果てしない苦渋の果てに、何かが見えてくる筈だ。突破口となる何かが。

 偽ツェンクに再び勝利したのは、最初の対決から数えて四百三戦目のことだった。

 転生後の偽ツェンクにあの台詞を告げた時は、物凄く気持ちが良くて思わず踊り出していた。

 

 

  五

 

 『共闘』が始まったのはいつの頃だったか。九百戦以上になり、勝ち負けがほぼ拮抗してきた頃か。まだ千戦は超えていなかった筈だ。

 偽ツェンクは片腕を負傷していた。前回のダメージが残っていたから暫く勝負はなしだった。だが完治する前にまた余計な傷を作ってもらっても困るので、ツェンクは目を離さなかった。偽ツェンクは非常に喧嘩っ早い男なのだ。

 カイストの集まる酒場で、泣きながら入ってきた若い女の依頼を偽ツェンクはあっさり引き受けてしまった。こいつは泣き落としに弱いのだ。

 村を襲って殺戮・略奪した強盗団への敵討ちの依頼。リーダーはどうやらカイストらしい。

 酒を飲みながらその様子を眺めていて、ツェンクはふと思いついたのだ。偽ツェンクの受けた依頼を自分が先に片づけてしまったら、こいつはどんな顔をするだろうか。

 ツェンクは素早く行動に移った。酒場にいた探知士にこっそり依頼して強盗団の大まかな位置を教えてもらい、加速歩行で飛び出した。荒野を移動中の標的を見つけ、二秒で周辺に複数の結界を張り終え、確認のため接近して声をかけた。

「おーい、お前ら村を襲ってるかあ」

「何だてめえ」

 攻撃が来たので焼灼結界で雑魚を焼き尽くし、カイストだったリーダーともう一人は杭で脳と心臓を撃ち抜いて殺した。死体を残しておく必要があったからだ。一秒半で終了。楽な仕事だった。

 ツェンクはずっとその場で待っていた。七日後、加速歩行が使えない偽ツェンクがやっと到着し、ツェンクはにこやかに告げた。

「よう、遅かったな、偽ツェンク。お前の標的はとっくに本物のツェンクが始末しといたぜ。いやあ、どうやらお前は必要なかったみたいだな」

 その時の、偽ツェンクの顔。憤怒と屈辱に歪んでいくその顔に、ツェンクは痺れるような愉悦を覚えたのだ。こんな快感がこの世に存在したのかと思ったくらいに。

 それを五、六回繰り返した後に、自分も偽ツェンクに同じことをされた訳だが。

 珍しくニッコニコの笑顔を見せられ、はらわたが煮えくり返るような怒りにツェンクは染められた。悔しさで脳味噌が爆発するかと思った。

 そしてまた殺し合う。勝っては負け、負けては勝ち、連勝が続いたと思ったら連敗で逆転される。それをまた連勝で取り返す。

 ツェンクはとにかく、もう、この偽ツェンクが許せないのだった。自分と同じ名を持ちながら正反対の男。自分より年下のくせに互角に渡り合う男。絶対に、折れない男。

 こいつには負けられない。絶対に自分の手で屈服させなければならないのだ。そうしなければ、自分は前に進めないのだ。

 この煮えたぎる感情を、偽ツェンクの方もこちらに対して抱いていることは分かっていた。他の奴らのことはどうでもいい。互いが最大の敵となっていた。

 偽ツェンクをけなす奴がいると激烈な怒りが湧き上がる。確かにこいつは馬鹿で、不器用で、たった一つの攻撃手段しか持たず、多人数相手の戦闘がちょっとばかり苦手で、命乞いする弱い相手にはつい手が緩み、幻術によく引っ掛かる、とにかく馬鹿だ。

 だが、そんな馬鹿にこのツェンク様が、何万回も負けてるんだ。偽ツェンクを馬鹿にすることは、ツェンクを馬鹿にすることと同じことだ。だからぶち殺す。

 偽ツェンクを褒める奴がいるとやはり腹が立つ。偽ツェンクにこのツェンク様が劣るというのか。そう言いたいんだな。だからぶち殺す。

 ツェンク自身がけなされるとぶち殺すのは当然だ。だが、褒められても何故か怒りが湧き上がる。自分はこの目の前にいる偽者のことで手一杯なんだ。お前ら如きがしたり顔で俺達を語るんじゃない。勝手に俺達を理解したつもりになるんじゃない。そんな、訳の分からない怒りだった。

 偽ツェンクの方も怒りのツボは同じのようで、二人のうちどちらがけなされても、或いは褒められても、二人共が即座に相手に襲いかかってぶち殺してしまうのだった。

 ツェンクと偽ツェンクは他のカイスト達にとって迷惑で面倒臭い『二人組』になってしまった。自覚してはいるけれど、どうしようもない。この偽者を完全に打ち負かすまで、もう止まる訳にはいかないのだ。

 

 

  六

 

 あれから、長い時が過ぎた。

 ツェンクは二百億才を超え、もう三千万年程度の差で偽ツェンクを年下扱いは出来なくなった。ちょっとした拍子に年下扱いすると鼻で笑われる。

 決着をつけられないまま、ここまで来てしまった。Aクラスの上澄みである、カイスト・チャートの無差別部門百位以内を常時キープするゴールデン・マークまで。偽ツェンクはたまに落っこちることがあるが、すぐに戻ってくる。

 二人でいがみ合いながら四千世界を駆け抜けた。競い合うように馬鹿なことも沢山やった。強い奴にはとにかく喧嘩を吹っかけ、カイスト同士の戦争では負けそうな方に加担、並のカイストでは生存不可能な危険領域にも進んで突入した。

 壁には何度もぶつかった。何度も、何度も。しかし全て乗り越えてきた。偽ツェンクより先に進まねばならなかった。もし先に進まれたら絶対に追いつかなければならなかった。偽ツェンクの方も歯を食い縛りながらツェンクを追ってきた。ツェンクより先に進んだ時は物凄く爽やかな笑みを浮かべツェンクの怒りを掻き立てた。お返しに、ツェンクが先に進んだ時は物凄く爽やかな笑みを送ってやった。

 いつしかツェンクは『技のツェンク』と呼ばれるようになっていた。偽ツェンクの方は『力のツェンク』と呼ばれている。勿論自分ではその二つ名は使わない。有名になり過ぎたので、そう呼んだ奴をいちいち殺しはしない。

 何故俺は、こいつと一緒にいるのだろう。ツェンクはふと、テーブルの向かいで無心に食い続ける偽ツェンクを見て考える。

 本来なら、ツェンクはただ一人のツェンクである筈だった。ただ一人で戦士達の頂きに達し、最強の座を奪い合って鎬を削る絶対の強者である筈だった。

 だがツェンクというカイストは二人いる。ツェンクの名が挙がる時は、必ずもう一人とセットで呼ばれるのだ。『ダブル・ツェンク』と。一人でいる時も「相棒はどうした」と言われてしまう。

 ツェンクのカイストとしての生に、偽ツェンクはベッタリとへばりついて取れなくなってしまった。

 そのことに強い苛立ちを覚えると共に、感謝の気持ちもあることを、認めなければならない。

 こいつがいなかったら、俺はここまで来られなかっただろう。

 俺がいなくても、こいつは普通にAクラスになっていたかも知れない。だが、今のこいつがあるのは俺のお陰なのだ。

 ツェンクがそんなことをぼんやり考えていると、偽ツェンクが食事の手を止めて尋ねてきた。

「どうした」

 こいつの喋りはいつも簡潔だ。

「いやな。どうしてこんなむさ苦しくていかつい男と長い付き合いになっちまったんだろう、ってな。色気たっぷりの美女だったら良かったんだがなぁ」

 酒を飲みながらのツェンクの軽口に、偽ツェンクは首をかしげて少し考え込むと、やがて言った。

「美女だったら、脳天をかち割りにくくなるな」

「ハッ。お前ならそりゃそうなるか」

 遠慮なくぶち殺せるような相手だから、この関係も続いてきたのだろう。

 珍しく平和な時間だった。千三百六十七万八千二百十四勝、千三百六十七万八千二百十四敗、八十八万七千六百十二引き分けで、綺麗に均衡していたのだ。特に、最新の勝負がツェンクの勝ちで終わっていることも心に余裕を与えていた。

 ぬるま湯に浸っているような気の抜けた感覚。ずっと突っ走ってきたのだから、たまにはこんな時間もあっていい。

 と、酒場に駆けてくる気配があった。Cクラス探知士、ガルーサ・ネットの店員。

 飛び込んできた男は焦り気味の顔で酒場の面々に声をかけた。

「すみません、戦える方にお願いしたいのですが。西のゴースト・ホールから巨大な魔獣の群れが排出され、このモンタワールに向かっています。到着まで十日から十五日程度かかりそうですが、途中の村や町が幾つか滅ぼされることになります」

 ガルーサ・ネットが討伐を直接依頼するつもりか。ツェンクは考える。基本的に世界の出来事には不干渉だが、支店が魔獣に蹂躙されるのは困るものな。報酬は何を提示するつもりか。

 だが男の話が終わる前に偽ツェンクが金槌を持って立ち上がろうとするのを感じ取り、ツェンクもすぐさま立ち上がって同時に同じ台詞を吐くこととなった。

「「俺が行く」」

 言った瞬間、ツェンクは偽ツェンクと睨み合う。対抗心、敵愾心、相手に後れを取ってなるものかという、激烈な怒りにも似た熱が互いの体を駆け巡る。

 このクソッタレが。てめえにだけは、負けられねえんだよ。ツェンクの煮えたぎる想いが殺気となって視線に乗り、偽ツェンクにぶつかっていく。

 偽ツェンクも全く同じ目をして、煮えたぎる殺気を返してきた。

 

 

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